SUKOYAKA日記

メモ帳的存在。岡山在住。

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こころ 夏目漱石

最近読んだ人間失格と同様に暗い話。人間失格の場合は太宰治のユーモアで、暗い話であるけれども軽さも感じた。しかしこころは物語の重さがむき出しになっていて、それが自分の心に突き刺さってきた。

印象に残ったところを書き出していく。(岩波文庫)

p14
先生ははじめから私を嫌ってはいなかったのである。先生が私に示した突起時のそっけない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近付くほどの価値のないものだからよせという警告を与えたのである。ひとの懐かしみに応じない先生は、人を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものと見える。
p19
人間を愛しうる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱きしめることのできない人、――これが先生であった。
p20
「じゃお墓参りでもいいからいっしょ連れて行ってください。私もお墓参りをしますから。」?すると先生の眉がちょっと曇った。目のうちにも異様な光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片づけられないかすかな不安らしいものであった。
p21
「私はあなたに話すことのできない理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ連れて行ったことがないのです。」
【嘘をついた先生。】

p22
「私は淋しい人間です。」と先生が言った。「だからあなたの来てくださることを喜んでいます。

p23
「若いうちほど淋しいものはありません。

p26
「子供は何時まで経ったって出来っこないよ」と先生が言った。
奥さんは黙っていた。「何故です」と私が代わりに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。
p29
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方も、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです。
p39
信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
p40
「かつてはその人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を戴かせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を退けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。
p41
私の眼に映ずる先生は確かに思想家であった。けれどもその思想家のまとめ上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。
p45
「あなたは学問する方だけあって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。
p62
これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間位は下にも置かないように、ちやほや歓待されるのに、その峠を定規通り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めてきて、しまいには有ってもなくっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。
p65
自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
p67
、以前はね、人の前に出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のように極まりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほど恥でないように見えだしたものだから、つい無理に本を読んでみようという元気がなくなったのでしょう。まあ早く言えば老い込んだのです」
p73
私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結びつける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私には無論其処に気が付くはずなかった。
p74
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚(しんせき)なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」

p78
「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」
 待ち合わせるために振り向いて立(た)ち留(ど)まった私の顔を見て、先生はこういった。
 その時の私(わたくし)は腹の中で先生を憎らしく思った。
p80
「いや見えても構わない。実際昂奮(こうふん)するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」
 先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力(しゅうじゃくりょく)をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処(ところ)に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾(たて)を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこういった。
「私は他(ひと)に欺(あざむ)かれたのです。しかも血のつづいた親戚(しんせき)のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否(いな)や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供(こども)の時から今日(きょう)まで背負(しょ)わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐(ふくしゅう)をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」
p83
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果(いんが)で、人を疑(うたぐ)りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好(い)いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
 私の声は顫えた。
「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増(まし)かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」
 私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。
p98
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月(みつき)か四月(よつき)ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合(しあわ)せか、今日までこうしている。起居(たちい)に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉(うれ)しいのさ。せっかく丹精(たんせい)した息子が、自分のいなくなった後(あと)で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉(うれ)しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高(たか)が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」
p112
「小供(こども)に学問をさせるのも、好(よ)し悪(あ)しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅(うち)へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」
p143
実をいうと、私はこの自分をどうすれば好(い)いのかと思い煩(わずら)っていたところなのです。このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。馳足(かけあし)で絶壁の端(はじ)まで来て、急に底の見えない谷を覗(のぞ)き込んだ人のように。
p147
あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解(わか)っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑(けいべつ)までしなかったけれども、決して尊敬を払い得(う)る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極(きょく)あなたは私の過去を絵巻物(えまきもの)のように、あなたの前に展開してくれと逼(せま)った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮(ぶえんりょ)に私の腹の中から、或(あ)る生きたものを捕(つら)まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜(すす)ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭(いや)であった。それで他日(たじつ)を約して、あなたの要求を斥(しりぞ)けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴(あ)びせかけようとしているのです。私の鼓動(こどう)が停(とま)った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。


p161私は冷(ひや)やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体(たい)が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事ができるからです。

p162
 私と叔父の間に他(た)の親戚(しんせき)のものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺(あざむ)いたと覚(さと)ると共に、他(ほか)のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞(ほ)め抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理(ロジック)でした。
p176
今考えるとおかしいのです。私は他(ひと)を信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。
p194
。学問をやり始めた時には、誰しも偉大な抱負をもって、新しい旅に上(のぼ)るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍(のろ)いのに気が付いて、過半はそこで失望するのが当り前になっていますから、
p195
最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路(みち)を辿(たど)って行きたいと発議(ほつぎ)しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪(ひざまず)く事をあえてしたのです。そうして漸(やっ)との事で彼を私の家に連れて来ました。
p198
私には平生から何をしてもKに及ばないという自覚があったくらいです。
p198
肉体なり精神なりすべて我々の能力は、外部の刺戟(しげき)で、発達もするし、破壊されもするでしょうが、どっちにしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、よく考えないと、非常に険悪な方向へむいて進んで行きながら、自分はもちろん傍(はた)のものも気が付かずにいる恐れが生じてきます。
p204
私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。
p214
Kは昨日(きのう)自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。
p218
 そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅(うち)にいる時でも、よくKの室(へや)の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。
p223
こっちでいくら思っても、向うが内心他(ほか)の人に愛の眼(まなこ)を注(そそ)いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応(いやおう)なしに自分の好いた女を嫁に貰(もら)って嬉(うれ)しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑(の)み込めない鈍物(どんぶつ)のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠(うえん)な愛の実際家だったのです。
p239
Kは昔から精進(しょうじん)という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲(きんよく)という意味も籠(こも)っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲(せつよく)や禁欲(きんよく)は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害(さまたげ)になるのです。
p239
こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角(せっかく)積み上げた過去を蹴散(けち)らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ち留(ど)まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那(せつな)に居直(いなお)り強盗のごとく感ぜられたのです。
p243
私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳(かざ)した後(あと)、自分の室に帰りました。外(ほか)の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
p245
果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図(いちず)に思い込んでしまったのです。
p250
Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子(こうし)を開けて、玄関から坐敷(ざしき)へ通る時、すなわち例のごとく彼の室(へや)を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒(い)いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那(せつな)に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
p255
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目(ひとめ)見るや否(いな)や、あたかも硝子(ガラス)で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立(ぼうだ)ちに立(た)ち竦(すく)みました。それが疾風(しっぷう)のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄(ものすご)く照らしました。そうして私はがたがた顫(ふる)え出したのです。
p256
手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行(はくしじゃっこう)で到底行先(ゆくさき)の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後(あと)に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方(かたづけかた)も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜(よろ)しく詫(わび)をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口(ひとくち)ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨(すみ)の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
p259
「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫(あや)まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫(わ)びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生(へいぜい)の私を出し抜いてふらふらと懺悔(ざんげ)の口を開かしたのです
p263
妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参(はかまい)りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃(そろ)ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺(なが)めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
p264
私は妻と顔を合せているうちに、卒然(そつぜん)Kに脅(おびや)かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映(うつ)ります。映るけれども、理由は解(わか)らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問(きつもん)を受けました。笑って済ませる時はそれで差支(さしつか)えないのですが、時によると、妻の癇(かん)も高(こう)じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言(えんげん)も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
p265
もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔(ざんげ)の言葉を並べたなら、妻は嬉(うれ)し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印(いん)するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫(ひとしずく)の印気(インキ)でも容赦(ようしゃ)なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
p266
自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
p268
同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正(まさ)しく失恋のために死んだものとすぐ極(き)めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易(たやす)くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路(みち)を、Kと同じように辿(たど)っているのだという予覚(よかく)が、折々風のように私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。
p269
「その内妻(さい)の母が病気になりました。医者に見せると到底(とうてい)癒(なお)らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪(たま)らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手(ふところで)をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善(い)い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅(つみほろぼ)しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。
p274
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争(せいなんせんそう)の時敵に旗を奪(と)られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日(こんにち)まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月(としつき)を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間(あいだ)死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那(いっせつな)が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。どちらが苦しいのだろうか?読み終わってすぐは先生がどう考えているかわからなかったが、おそらく先生がどちらの方を苦しいと考えているかは決まっていて、この小説を読みこめばわかると思っていた。しかしふと思ったのだけれどもそんなのわかるはずもない。当然と言えば当然だが、死の直前の一刹那は死んだ人のみが体験できるのだから。ま、ここで伝えたいのは想像も絶するほどの死の苦しみに、ほとんど肉迫するほどの苦しみを先生は抱えていたと言うことだろう。
p276
 私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己(おの)れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一(ゆいいつ)の希望なのですから、私が死んだ後(あと)でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」

感想
YOYO!


なぜ先生は自殺したか?
もちろん根本的な原因はKを殺したという呵責だろう。しかし先生はKの死後、苦悩しながらも奥さんとの生活を続ける。
その後先生が自殺に至るきっかけは一体何なのだろうか。これはやはり「私」の存在だろう。
先生はKの自殺の後、生きた心地などしなかっただろう。かし自殺には踏み切らなかった。
それは先生が臆病だったからだ。死ぬのが厭だったのだ。
ではなぜ自殺に踏み来たのか?
私に自分の罪を告白することで贖罪したのではないか。
何も知らない奥さんだけには自分の穢れをさらすことはできず、私に会うまで、他人を信用できないという性質によって、罪を告白する機会はなかった。しかし「私」だけは自分に近づき慕ってくれた。
先生は罪の告白をすることで「私の鼓動が止まった時に、私のあなたのこころに新たな命が宿れば満足です」と手紙につづっている。
やはり自分の「死」の意味を見つけた時に死を決意したのだろう。

しかし先生は「死」よりも罪を負ったまま生き続けることを恐れたのか。
じゃあ戦争で失態をおかした乃木大将とはちがうね。


●キリスト教と完全犯罪と日本的「恥」の文化
Kが自殺し奥さんと結婚できた先生。これは誰にも知られておらずいわゆる完全犯罪である。

その後はキリスト教的な「罪」の意識を感じる。ここで「罪」の意識とは「恥」の意識とい対応して、他人の目線ではなく神の目線から意識されるうしろめたさ?のこと。

そこで先生はキリスト教的意識を持っているのかというと、どうも疑わしい。


なぜなら先生は私に告白した直後自殺している。つまり他人の目を意識している「恥」の日本的意識だ。


あ?よくわからん。ばいちゃ
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