SUKOYAKA日記

メモ帳的存在。岡山在住。

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バカでもわかるイラン・イラク戦争

概要
イラン・イラク戦争(イラン・イラクせんそう、イ・イ戦争)は、イランとイラクが国境をめぐって行った戦争で、1980年9月22日に始まり1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えた

この戦争は、数次に渡る中東戦争、湾岸戦争などと並んで中東地域の不安定さを示す材料であるとされる。中東における不安定要因は、ユダヤ教のイスラエルとイスラム諸国の対立という図式で考えられることも多いが、この戦争はイスラム教内のシーア派とスンナ派の歴史的対立や、アラブとペルシアの歴史的な対立の構図を現代に復活させたことに於いて、非常に興味深い事件であるといえる。また、イスラム革命に対する周辺国と欧米の干渉戦争と捉えることもできる

背景
両国の石油輸出にとって要所であるシャトル・アラブ川の使用権をめぐる紛争は、戦争以前にも長年の間、衝突の原因だった。シャトル・アラブ川は両国の国境にあたる。同河川沿いの都市バスラはイラク第二の都市で、石油積み出し場として重要な港でもあった。

イランでは1979年にシーア派によるイスラム革命があり、親米のパーレビー政権が倒れ、ホメイニーの指導下、周辺のアラブ諸国とは異なる政治体制「イスラム共和制」を敷き君主制中心の周辺アラブ諸国の警戒感を強めたが、イラン国内の混乱が増し、保守派の粛清のために軍事系統にも乱れがあると見られ、これは敵対する周辺国にとっては好機であった。

一方、イラクではサッダーム・フセインが政権を掌握して反対派を粛清。強固な独裁制を確立し、軍備を強化していった。


イラクの奇襲

当初、イラクの優勢
1980年9月22日未明、イラク軍がイランの空港を急襲して爆撃、イラン軍がそれを迎撃するという形で戦争は始まった。この攻撃は、1975年にアルジェリアの仲介によって、イランとイラクの国境を画定する為に結ばれたアルジェ協定の一方的破棄であったとされている。準備の面で勝るイラク軍は、革命で混乱したイラン軍の指揮系統などの弱点をついてイラン国内に侵攻、11月にはイラン西部国境地帯の一部を占領した。

イランのアメリカ人技術者不足
イランの軍備は長らく親米政権であったためにほとんどが米国製であった。これらを扱う技術者もアメリカ人であったが、革命の際に全員が国外退去となった為、兵器の整備や部品の調達が難しくなっていた

スンニ派・世俗的アラブ国家のイラク支援
アラブ諸国はスンニ派や世俗的な王政・独裁制が多い為、イランの十二イマーム派の革命の輸出を恐れてイラクを支援した。特にクウェートはペルシア湾の対岸にイランを臨むことから、積極的にイラクを支援し、資金援助のほか、軍港を提供するなどした。

ソ連のイラク支援
ソ連はかねてから親ソ政権であったイラクにあらゆる方面で協力しており、また国内へのイスラム革命の飛び火も恐れて、85年の時点で192億ドルの武器を輸出するなどイラク最大の援助国であった。
イラクを全面的に支援しているクウェートの収入源は石油であるが、イランの鼻先を通るクウェートのタンカーにはソ連の護衛が付いておりイランには手出しができなかった

○アメリカのイラク支援とイランとの取引
米国は、反イランの論調を受けてイラクに対する武器の輸出や経済援助などを行ったが、裏では革命の際のテヘランのアメリカ大使館占拠事件において、人質の解放をめぐる取引の一環として、また、ニカラグア内戦を戦う傭兵軍コントラへの資金援助のために、ある時期にイランに対しても武器輸出を行った(イラン・コントラ事件)。【米ソ対立とはあまり関係なかったのか。米ソともにイスラム世界を恐れていたということか

イラン劣勢と北朝鮮との親密関係
東西諸国共に対イラン制裁処置を発動した為、物資、兵器の補給などが滞り、また革命による混乱も重なって人海戦術などで応じるしかなかったため、大量の犠牲者を出した。
その中で北朝鮮が秘密裏に武器と兵員を送っている。兵力は1000人規模で戦死者が共同墓地に埋葬されており、このときからイランと北朝鮮の親密関係が構築された。【ソ連がイラク支援しているのに、なぜ北朝鮮はイランとの関係を密にできたかが不思議
しかし、全般的には劣勢であり、時にはイラン兵の死体が石垣のように積み重なることもあった。完全に孤立したイランはイラクへの降伏を検討しなければならなくなっていた。



形成の逆転

○イスラエルの支援。イスラーム重視のシリア・リビアの支援
イラクの予想よりもイラン民衆の抵抗は強く、またイラク軍部と政権政党であるバアス党の意見の食い違いなどから戦線は膠着した。
さらに、完全に孤立したように見えたイランであったが、アラブ全てを敵に回しているイスラエルが援助を始める。米国製の部品をイスラエルが代わりに調達するなどしてイランを支えた。
加えて、イスラーム重視政策を採ったシリアとリビアがイランに味方した。

イスラエルの原子炉爆撃事件
1981年6月7日、イスラエル空軍機はヨルダン・サウジアラビア領空を侵犯してイラク領に侵入し、イラクがフランスの技術で建造していた原子力発電所(未稼働)を空爆して破壊した(イラク原子炉爆撃事件)。イラクはこのため、イスラエル方面の防空を強化しなければならなくなった。


○戦況の変化
1982年4月、シリア経由のパイプラインが止められ、イラクは石油の輸出ができなくなったこれは資金調達の手段がなくなったってこと?】頃から戦況は動き始める。
5月24日にイランはホラムシャハル港を奪回、3万のイラク兵を捕虜とした。6月には領土ほぼ全域を奪還し、イラク国内への攻勢に出る。
イランの勝利もありうると考えたイラク側が休戦を持ちかけるきっかけとなったが、巻き返したイランはフセイン体制打倒に固執し、戦争は終結しなかった。11月にはイラク軍がイランのカーグ島石油基地を破壊した。

沈静化 1982?1984

世界で戦争がおきまくってイ・イから世界の目が一時離れた
この年、シリアの占領下に置かれていたレバノンにイスラエル軍が侵攻し、レバノン内戦が再燃した。このため欧米の目は急速にレバノンへ向き、火消しに躍起になった。米国はフランスと共に軍をレバノンへ派遣した。なお、このレバノン内戦の裏ではイスラエルとイランの間で密接な連絡が行われていた。
また、82年には英国がフォークランド戦争、米国は1983年10月にグレナダを侵攻、ソ連もアフガニスタンで手間取った為、世界の目はこの戦争から離れた。しかし、83年にレバノンの米仏軍のキャンプが自爆テロ攻撃を受けた為、報復にシリア軍を艦砲射撃して1984年2月に撤退した(アメリカ大使館爆破事件)。


再燃1985?1986

米軍撤退後、戦闘再燃。イラクの化学兵器に対する国際的非難
米軍撤退の直後、イラン・イラク間の戦闘が再燃した。3月に国際連合の調査によりイラクが化学兵器を使用していることが判明すると、戦争に対する世界的な非難が高まった。タブンなどの毒ガス兵器がイラクによって使用されたが、いずれも散発であったため、戦況にはほとんど影響しなかったと言われている。11月にイラクは米国と正式に国交を回復し、援助は公式なものとなった。

民間も巻き込み泥沼化
翌1985年3月、イランとイラクは相互に都市をミサイルで攻撃しあった。イラクはソ連のスカッドを改良した「アル・フセイン」をイランの都市へ撃ち込んだが、これによってイランはミサイル開発にこだわるようになる。5月にはイラク空軍機がテヘランを空襲。1986年6月にはイラク軍のミサイルがイランの旅客列車に命中した。もはや戦争は互いに一般国民を殺戮しあう泥仕合と化していた。

米国の介入

リビアとアメリカの交戦。。
アーネスト・ウィル作戦で出動した米海軍アイオワ級戦艦「ウィスコンシン」両国が殺戮の応酬を繰り返す中の1986年3月、イランを支援し続けるリビア(リビアは当時チャド内戦にも介入していた)と米軍機がシドラ湾で交戦米国は4月にリビアを攻撃した。

米のイラン支援の発覚。
しかし12月、アメリカでイラン・コントラ事件(米が人質を取られ、イランを秘密裏に支援していたという大スキャンダル)が暴露されてしまった。大統領ロナルド・レーガンは窮地に立たされると、取引を持ちかけたのはイランだとして激しく非難した。クウェートへの攻撃を防ぐ為、クウェートのタンカーには星条旗を掲げさせ、米軍艦の護衛をつけた(アーネスト・ウィル作戦)。

○イランの攻撃。イラク内クルド人を支援し、軍の弱体化を狙うも失敗。
1987年イラク領へ向けて南部戦線に大攻勢をかけ、ようやくイラク軍に損害を与えることができた。また、イラク国内の反政府的なクルド人を支援して反乱を起こすよう仕向け、イラク軍の弱体化を狙ったが、これに対してイラク軍は反乱クルド人に化学兵器を使用したため、事態を知ったイラン軍の士気は下がった。

停戦を要求する安保理決議。イラクは先に受諾
7月20日、国際連合安全保障理事会が598号決議を採択した。即時停戦ほか、公正な機関による戦争責任の調査、抗戦を継続する場合には武器の輸出停止、経済制裁を行うという内容であった。先にイラクが受諾の姿勢を見せたが、8月からペルシャ湾に大量の機雷が浮遊するようになる。イラクは報復としてイランのタンカーを攻撃、9月から米軍のヘリコプターが出動したが、これに対してイランは米国のタンカーを攻撃した。

○サウジのイラン断交。イラ安保理受諾へ
1988年2月、イランとイラクは相互都市攻撃を再開、ここにおいて米軍がペルシャ湾に出動、4月14日にイランとの間で交戦となった(プレイング・マンティス作戦)。さらに、それまでイランに寛容だったサウジアラビアが断交を通告。イランは7月に安保理決議598号の受諾を表明し、8月20日に停戦が発効した。【サウジの援助がなくなり、やっていけなくなったから?

○ペルシャ湾岸協力会議。米国の後ろ盾
この戦争の間、ペルシャ湾岸諸国(サウジアラビア・クウェート・アラブ首長国連邦・カタール・バーレーン・オマーン)は湾岸協力会議(GCC)を結成し、地域の安定を求めた。GCCは米国が後ろ盾となり、各国に米軍兵器を輸出した(サウジは見返りとして米国からF-15戦闘機などを購入することができた)。

○国交の回復。とイラクのクウェート侵攻
1989年6月、革命の父ホメイニーは死去する。翌1990年9月10日にはイラン・イラク両国間で国交が回復した。

なお、1990年の8月2日にイラクはクウェートに侵攻しており、翌年に湾岸戦争となった。【クウェートは確かイラクを支援してたよね。なんちゅー心変わりの速さ。一説にはイラクがこの戦争で抱え込んだ負債を帳消しにするために起こしたとも言われる。ジャイアンかおまえは。


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