SUKOYAKA日記

メモ帳的存在。岡山在住。

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6,3 [政治開放」アルベトゥーラの過程

ガイぜル政権は「緊張感和」と言われる「政治開放」を段階的に目指した。しかし強硬派が(ガイゼルの跡を継いだ)フィゲレード政権の末期まで開放を妨げようとした。
「緊張緩和」の原因は反政府勢力もそうだが、弾圧機関が権力を握っていたことにあった。それが軍の階級に否定的な影響を与え、軍の機能と基本原則がゆがめられ、一体制の危機に陥っていた。そのため政治開放の必要性があった。
政府は議員選挙を各政党に自由に活動させ、自由化を促進すると同時に、選挙でのブラジル民主運動の勝利に貢献したとしてブラジル共産党を弾圧した。
弾圧機関は自殺に見せかけ反政府勢力者を2人殺した。これには専門職の中産層とカトリック教会の聖職者を中心に怒りを、巻き起こした。ガイゼルは弾圧機関の総司令官を腹心の将軍と交代させた。
市長選挙では国家革新同盟の敗北する予測があったので、テレビ・ラジオでの選挙運動は禁止された。しかし市長選挙ではブラジル民主党は100市あるなか59で勝利した。政府は上院議員選出を政府寄りの間接選挙を一部導入した。これに合わせて1979年政治自由化の一環に軍政令第5号を失効し、これにより個人的権利は復活し、連邦議会は復活し、連邦議会は独立制を取り戻した。
1978年選挙では上院下院とも政府が勝ったが、ブラジル民主運動の得票は主要州と大都市に集中していた。
1973年メディシ政権が終わらないうちに、石油危機が起きた。ブラジルは消費量の80%以上輸入に頼っており、深刻な打撃を被ったがガイゼル政権が発足したころは、「奇跡」の余韻がまだ残っていた。
新政府は第二次国家開発計画を発表した。輸入代替の内容を変え、基本的物資(石油、鉄鋼、アルミニウム、化学肥料)の自給と資本財産業の育成である。エネルギー問題を意識し、油田の探査、核開発計画、アルコールによるガソリンの部分的代替、水力発電所の建設を掲げた。また政府は民間大企業の資本財生産分野への投資を奨励、促進した。
(※この第二次国家開発計画には賛否両論はあるみたい。賛。工業化。輸入代替の成果。否。対外債務増。公害。)
対外債務は1978年には、1975年の倍の額である543億ドルの債務を抱えた。この融資は金持ちの腹を肥やしたという批判は事実だが適切ではない。問題は費用の割に効率的な運営がなされず、利益を生むか分からない事業にまで、資金が投入されたことだ。
またインフレを抑えるために国営企業には製造コスト以下の価格で製品を供給させたりして、赤字を増やした。またイン増えに対する賃金改定も年1回しか行われず、労働者の不満は募った。
1977年政府は物価上昇率が操作されていた事実を認めた。これにより、2年間で約30%実質賃金が減っていたことが判明した。これに対し労組は賃金修正を求めるデモを行い、延べ数百万人のデモになった。そして賃金引き上げや雇用の保障を要求した。
ガイぜルは自分の後継者選びに成功し、ジョアン・バティスタ・フィゲレード将軍が選挙人団による選挙でブラジル民主党の候補者を破って選出された。これに対しシルヴィオ・フロータ陸相自らが、強硬派の代弁者として出馬した。フィゲレードは国家情報局という弾圧機関の長官であったが、緩やかな「政治開放」を継続し同時に強硬派を抑え込むには適任であると思われた。そして彼は大統領に当選した。
新政府は経済成長を図りつつ、インフレ抑制を行おうとしたが第二次石油危機と国際的な金利上昇により、失敗に終わった。そして政府はデフレ政策に転換し、通貨供給は厳格に抑制され、国営企業への投資は削減された。
1981年から1983年はGDPがマイナス成長を記録した。インフレ抑制派効果を発揮せず、インフレと不況が同時進行し「スタグフレーション」と呼ばれるまでになった。
ブラジルは破産状態に陥り、政府は控えめな金融支援と国際的な信用回復策とを引き換えに、IMFの蘇峰線を受け入れた。それは主に対外債務返済を継続しながら、国際収支の改善を目指すというものであった。国内では歳出削減と一層の賃金抑制が図られた。
国際収支の改善は成果を上げ始め、1984年を境に輸出、とりわけ工業製品輸出にけん引され、経済は成長に転じた。資本財分野も成長したが物価上昇は終息しなかった。
1985年フィゲレードが政権を札時財政は小康状態で、経済成長は回復した。インフレ率は223%になり、対外債務は九百十億ドルへと増大した。

政府は選挙政策のため、国家革新同盟とブラジル民主運動を廃止、し新たに「党」を作る法案が可決された。これにより、国家革新党は不人気な名称を捨て、民主社会党になった。ブラジル民主運動はブラジル民主運動党になった。また権威主義体制の強権性が薄れるにつれ、野党は分裂した。労働者党、ブラジル労働党ができた。
また労働運動も急進派(積極派?)と穏健派に分かれた。
1982年議会選挙では下院上院とも民主社会党が勝利したが、州知事では民主社会党が多数を占めたが、サンパウロ、ミナスジェライス、リオデジャネイロなど重要な州では野党候補が健闘した。
また労働者党は大統領直接選挙は最優先課題の1つにあげた。運動は拡大し、ほとんど全国民が賛同した。直接選挙には憲法改正が必要で、それには議会の3分の2以上の得票が必要であり、成立しなかった。大統領選挙は見送られ、戦いの場は選挙人団に移った。
1984年の大統領選では民主社会党は分裂し、主流派はパウロ・マルーフは擁立し、反主流派ではアウレリアーノ・シャヴェスは自由戦線党を結成し、タンクレード・ネヴェスを擁立したブラジル民主運動党に接近し、民主同盟を結成し、副大統領にはブラジル民主社会党幹部のジョゼ・サルネイが選ばれた。
そして選挙ではタンクレード・ネヴェスとジョゼ・サルネイが圧倒的勝利を果たした。
○1964年以後の体制はどのようなものだったのか。三軍上層部が権力を握ったが、政治面で軍部は一枚岩ではなかった。カステーロ・ブランコ派、強硬派、民族主義派に分かれていた。独裁ではなく、軍の中で権力は移動した。経済政策では文民にも大きな裁量権を与え、国営企業の幹部も優遇した国営企業は「軍部と国家の技術官僚クラブ」。とすら言えた。
1964年の対セは権威主義的ではあったが、ファシズムとは一線を画していた。大衆を組織し、政府を支持させようとしなかったし、国家の上位に位置する単一政党を作ろうともしなかった。また知識階級の支持を得るためイデオロギーを創造することはなかった。
議会、政治家は力を失い、三軍上層部と情報・弾圧機関、国家の技術官僚が支配した。
ポピュリズムは権力の梃子としては使われず、1964年以前発言力を高めた支配階級は、財務相と企画相が絶大な権力を握る経済政策に参加できなかった。
経済政策ではクビシェッキ政権時に導入された外国からの借款と外資参入への刺激策が象徴的。ゴラール政権時に行ったポピュリズムを基盤とした、民族ブルジョアジーによる自立発展経済政策が失敗したのとは対照的だった。

タンクレード・ネヴェスは大統領に就く前に病死した。そしてジョゼ・サルネイが昇格し大統領になった。しかし彼がにわか仕込みの「民主同盟」で権威を認められていない野党政治家ということもあり、事態を混乱させた。
民主主義的な自由を制限していた法律の廃止させ、新憲法制定議会選出は注目された。しかし国家情報局を存続させ、ふんだんな予算をわりあて、過去と完全に絶縁したわけではなかった。
1985年には大統領直接選挙を復活させる法案が可決し、同時に非識字者に選挙権が認められ、すべての政党が合法化された。これで共産党は合法化されたがスターリニズムの危機と左翼陣営における労働党の躍進により、共産党はもはや弱小政党にすぎなかった。
1985年サルネイ政権発足時、経済状況はよく輸入減少と輸出増で黒字が131億ドルとなり、対外債務の支払いが可能になった。しかし依然としてインフレ率は高く1984,85年とも200%を超えた。
リオデジャネイロ・カトリック大学の経済学者、たちは経済活動の抑制と財政赤字の削減が必然的につながるという説を批判した。1981?83年の不況時にもインフレ率は上昇したことを指摘した。これは同様に景気が後退し、様々な問題を引き起こしたもののインフレ退治に成功した先進諸国とは対照的だった。
ブラジルが先進諸国のようにならなかった理由は何か。主な理由は価値修正(インテグセーション)を導入しているブラジルのような経済では、過去の物価上昇が「惰性的インフレ」として将来に組み込まれてしまうことに求められた。(※わかりそうでわからん。インフレを許容するからなくならないってことか。わからん。)この悪循環から抜け出すには価値修正を廃止する必要があるとされた。これを実現できるのはショック療法だけで、価値修正を一挙に廃止し信頼を失ったクルゼイロに代わる新通貨の導入が必要だとした。この措置は大きな反響を呼び、政府の威信回復の利害にもかなった。
1986年「クルザード・プラン」が発表され、1000分の1のデノミネーションが行われたうえ、クルゼイロに変わりクルザードが導入され、価値修正は廃止された。物価と為替レートは無期限で、家賃は1年間凍結された。また労働者の生活条件悪化を食い止め、改善を目指すため、物価上昇に伴う自動的な賃上げが行われることになった。国民は大いに期待した。
しかしクルザードプランはほころびを見せた。経済拡大局面で実施されたため、実質賃金上昇をもたらした。消費熱は高まり、価格凍結が破られ始めた。またブラジル通貨が人為的に強くなったため輸入が激増し国際収支は赤字になった。
そしてクルザードプランの熱狂は終わり、国民は経済の将来に失望と不信を抱いた。
国民は1988年新憲法に期待した。一般の法律がほとんど効力を発揮しない国にあって、多くの時効が憲法に書きこまれた。(内容は省略。)
この憲法は1974年に着手した政治開放が権威主義体制一掃として受け入れられ、民主主義樹立に結実した。
ブラジルの民政移管は大きな問題を手つかずのまま残した。機会の不平等、市民に開かれた信頼できる政府機関の欠如、政治腐敗、恩顧主義はブラジルに深く根を張っている。
また権威主義体制が終わった後に出現したのは確立された民主主義というよりも、1種の「民主主義的状況」にすぎなかった。民主主義の確立こそが、1988年に始まる数年間、政府と社旗にとって中心的課題になった。

なーげー。でも面白かった。
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